全国一宮 第8回「近江国一宮 建部神社」と「瀬田川、瀬田の唐橋」(2015年 秋)

2015年12月1日

 

(写真・文、 光岡主席研究員)


 ”瀬田の唐橋”から15分ほど歩いた所に、近江国一之宮/建部大社はありました。  
 地元に愛される大きな鎮守様と言った雰囲気ですが、境内に入ると1300年余の歴史・格式の高さを感じます。
 祭神は日本武尊で、タケルの死を悲しんだ父/景行天皇がその武勇を称えるため、タケルの妃/近淡海国造の娘/布多遅比売(ふたじひめ)と息子/稲依別王(いなよりわけのみこ、建部氏の祖)の居住地/建部郷に296年祀ったのを始まりとし、その後675年に近江国府のあった現在の地に遷座され「近江国一之宮」となりました。

建部神社・山門

建部神社・鳥居




 本殿が2つある珍しい建築方式で、本殿には“日本武尊”を、権殿には“大己貴命”(大国主命)を祀っています。
 ”大和/出雲“が一緒に鎮座する珍しい神社です。

 

 又、頼朝が伊豆への流刑地下向の折、立ち寄り“源氏再興”を祈願、その後、願いが叶ったため頼朝から厚く遇されました。


建部神社拝殿と境内

本殿・正面

2つの本殿(本殿・権殿)





 境内にあった日本武尊の生涯を描いた今風のイラストも印象に残りました。



日本武尊の可愛いお守りです。



 瀬田川は琵琶湖から流れ出る唯一の河川、宇治川、淀川と名前を変え大阪湾に注ぎます。

 
 現代では、関西の多くの大学のボート部のホームグラウンド、大会も開かれます。
 どちらに水が流れているかも分からないほどのゆったりとした平水、鏡のようなフラットな水面は吸い込まれるような美しさです。 広く穏やかで静かで・・・心が和みます。

瀬田川

瀬田の唐橋


 壬申の乱で、天智天皇の嫡男/大友皇子が天武天皇と最後の戦いをした古戦場です。


 かつては、「瀬田の唐橋を制する者は天下を制す」と言われ、京の都の最後の防衛線でした。
 宇治で破れた木曽義仲軍が義経軍に最後の抵抗をした場所、建武の戦いでは南朝軍と北朝軍が川を挟んで交戦しました。 歴史の目撃者です。