全国一宮 第22回「安芸国一宮 厳島神社」(2018年 1月)

2018年2月1日

 

(写真・文、 光岡主席研究員)

 

 “安芸の宮島”・・・壮麗な海に浮かぶ神殿・・・平氏一門の氏神として有名な神社・・・それが、安芸国一宮「厳島神社」神社です。

 「いつくしま」とは、祭神の宗像三女神の長女「市杵島姫命(いちきしまのひめのみこと)」を由来とされますが、元々は、“神を斎(いつ)き祀る島”という意味で、“宮島”自体をご神体とする(島の主峰は“弥山”)古代からの信仰の島でした。

 推古元年の593年、地元豪族の佐伯氏が、宮島が、中国大陸と奈良“ヤマト”を結ぶ瀬戸内海航路上に位置したこともあり、海の守護神「宗像三女神」を筑紫の神社から分霊し、祭祀するようになったようです。

 

 現在の平安の雅(みやび)を伝える壮麗な社殿は、かつて安芸国司であった平清盛が、夢のお告げから、平氏の一門の氏神として、藤原氏の春日大社に対抗し、平氏の財力を尽くし造営しました。その後2回の火災に遭うものの再建され、現在見る社殿は鎌倉時代のものです。

海に立つ“大鳥居”(高さ・・・16m)

海の浮かぶ“社殿・廻廊”


 厳島神社は、国宝「平家納経」でも有名です。

 「平家納経」とは、平家一門の繁栄を祈願し、法華経などの写経に清盛の願文を添えて1164年厳島神社に奉納したもので、全33巻あります。

 仏教の経典を神社に奉納するとは、一見、不思議に思いますが、当時は神仏習合の時代、厳島神社の別当寺であった真言宗の大聖院が厳島神社の祭祀を行っていました。  平家納経もこの大聖院に奉納されたのです。

 今も神社境内に、五重塔や多宝塔があるのも、この神仏習合のなごりです。

廻廊から見る“大鳥居”

廻廊

能舞台

壮大な豊国神社(千畳閣)

大願寺山門

大願寺本堂

宮島の海

参道風景 (名物は“牡蠣”“あなご”です)

社殿の下の海に、“ふぐの子供”がたくさん泳いでいました。

廻廊

社殿遠景

 天正15年(1587年)、豊臣秀吉が安国寺恵瓊に命じ、戦没将兵の慰霊のため大経堂として建立した。857畳の広さがあることから“千畳閣”と呼ばれるようになった。秀吉の死により工事が途中で中止となり、板壁も天井の板もない未完成のまま、現在に至っています。現在は、厳島神社の末社です。

五重塔

 応永14年(1407年)に建立された“五重塔”は、元は、厳島神社の別当寺“大聖院”の子院“金剛院”の塔でした。現在は厳島神社の五重塔という不思議な関係です。

 

 

 神仏分離令まで、大願寺は厳島神社の“普請奉行”として、別当寺大聖院と共に重要な位置にありました。

 開基は不明ですが、鎌倉初期に僧了海によって再興された真言宗の古刹です。

 

 宮島で最も古い“薬師如来像”、神仏分離令により、厳島神社から遷された“厳島弁財天”、千畳閣の本尊だった“釈迦如来像”、五重塔の本尊だった“三尊像”、多宝塔の本尊だった“薬師如来像”、護摩堂の本尊だった“如意輪観世音菩薩”など、

かずかずの重要文化財を安置しています。

 

 神仏習合の時代、厳島神社の主神“市杵島姫命”は理財の女神として崇められるようになり、仏教の“弁財天”と同一視されていました。

 故に、かつては、“厳島弁財天”は、厳島神社に祀られていました。

 

 

宮島への連絡船 (JRフェリー)

もう一つの名物 “日本一の大しゃもじ”