全国一宮 第21回「下総国一宮 香取神宮」(2017年 1月)

2017年7月1日

 

(写真・文、 光岡主席研究員)

 

 下総国の一宮は、「香取神宮」で、平安初期、“神宮”と呼ばれたのは、「伊勢神宮」「鹿島神宮」と「香取神宮」の3つしかなく、格式の高い古社です。
 祭神は「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」で、「出雲風土記」は「天照大御神」から出雲に派遣され、「大国主命」に国譲りをさせた神と伝えます。 古代、物部氏と深い関係があったようです。
 一方、この国譲りは「古事記」では「鹿島神宮の武甕槌大神(タケミカズチノオオカミ」となっています。
これは、元来、「香取神宮の経津主大神」であったものを、「古事記」編纂の際、隆盛となった藤原氏(中臣氏)への政治的配慮から、没落した物部氏系の「香取神宮・経津主大神」ではなく、藤原氏(中臣氏)の氏神の「鹿島神宮・武甕槌大神」に替えたようです。

 

 一方、古来から、「香取神宮」「鹿島神宮」は共に“軍神”として崇められ、1対で、朝廷の厚い信仰を集めてきました。これは、“ヤマト王権”の東北地方進出のための“対蝦夷前線基地”の役割と守護神でした。

香取神宮・参道

香取神宮・拝殿

 

 古代から、太平洋岸に“内海”をはさみ向いあって隣接してきた「香取神宮」「鹿島神宮」の意味は何だったのでしょうか?
 大きな謎を持つ古社です。

 

 香取・鹿島の地は、地震が多い。
その地震を起す地中深くに住みつく”大鯰(ナマズ)”を抑える為、地中深く”石棒(要石)“を差し込み、鯰の頭を刺し通し、地震を抑えている。

要(かなめ)石

「要石」周辺

香取神宮・二の鳥居

香取神宮・総門

楼門、鹿島神宮と共に楼門(お寺の山門)を持つ珍しい神宮

香取神宮・祈祷殿(旧拝殿)