京都ミステリ-スポット 第1回 「幽霊子育飴」  (2013年 夏)

 2015年4月20日

 

(写真・文、 光岡主席研究員)

 

 伝説では、慶長4年(1599)まだ若い妻を亡くした男が妻を葬って数日後、土中から泣き声がするので掘り返したところ、元気な赤子が出てきた。当時近所の飴屋に夜な夜な飴を買いに来る女がいたが、これ以降来るとは無かった。幽霊となった母親が飴で赤子を育てていたらしい。後にこの子は偉いお坊様になった、と。

 何と、この飴屋は今も現存しています。

 祇園の南、六波羅密寺の近く、冥界への入口を意味する「六道の辻」にある「みなとや幽霊子育飴本舗」です。女店主は「うちは京都で2番目に古い飴屋、私で20代目です」、500年以上続いている、と。
 清水寺から南、東本願寺大谷廟の辺りは、平安京以前からの葬送地「鳥辺野」でした。つまりこの飴屋や六道珍皇寺辺りは、生者と死者との境界でした。現在飴屋の地名は「轆轤町」ですが、江戸以前は「髑髏(どくろ)町」、葬送地だった名残の地名でした。


 

 

 

 

  幽

  霊

  子

  育

  飴

幽霊子育飴看板






みやとや幽霊子育飴本舗









六道の辻石碑


 京都には、もう一つ「幽霊子育飴」を売っているところがあります。北野天神に近い仁和寺街道七本松にある日蓮宗京都8本山の1つ「立本寺(りゅうほんじ)です。
 年代の一致から上の話の子供がここ立本寺の高僧になったとの説もありますが、寺の伝えでは、第20世
貫首日審上人の書き判が「壺」に似ていたので「壺上人」と呼ばれ慕われていたところ、いつの日か上人は
立本寺の墓地の壺(土葬の甕)の中で生まれ母の幽霊が飴で育てたという伝説が生まれたとのこと。
 次頁の写真の方丈でこの飴を買いました。暑い日だったので冷たい麦茶まで頂きました。
大変親切なお寺様でした。 境内に咲く蓮の花が綺麗でした。







 

 


           日蓮宗立本寺山門



立本寺方丈

 

 

 

 

 

境内に咲く蓮の花が
  綺麗で
した